人類史上たくさんの人が死んできた。そしてこれからもたくさんの人が死んでいく。もちろん我々も。その名も無き人々の死は一見何の意味も無いように見える。そして今生きている人達の中にも自らが何のために生きているのか、自身の人生に理由を見いだせない人は多いかもしれない。その通りだ。あっている。正解だ。間違いない。
でもそうか本当にそうか本当に我々や我々の祖先達の死は価値が無いのか意味がないのか本当にくだらないあたかも砂で作り上げたお城が人の人生なのか。ふきさらしのゴミの溜り場にたまたま人間として形作られたのが我々なのか?
いや違う。それは違う。
かつていて今は消え去ってしまった一見無意味に見える人々の生命に意味づけするのは我々生きている人間だ。あの祖父祖母叔父叔母父母、街角のあのオジさん、道端の物乞い、凄い発明をした偉人、その何が苦しいかすらわからないまま死んだ人達の萎びた死骸を息を吹き込んで意味を与えるのは生者である我々の務めだ。
そうする事がこの過酷で残酷で容赦のない現実に対して立ち向かう唯一の術なのだ。
自己肯定度がゼロどころかマイナスの生者よ。ひっくり返って転がってかろうじて息をつかんでいる生者よ。立ち上がって亡き人々の人生に光を当てよう。
そうすれば「自分が人生に期待しているのではなく実は人生が自分に対して期待している」ことを知ることになるだろう。