アステカ巨人軍

9巨人軍の超豪華メンバーが全盛期を迎えていた頃、柴田勲、土井正三、王貞治、長嶋茂雄、高田繁、末次民夫、黒江透修、森昌彦、吉田孝司、上田武司、柳田俊郎は突如としてアステカ帝国時代へとタイムスリップしてしまいました。彼らは驚きながらも、新たな時代での壮大な野球冒険に身を投じることになります。 彼らはアステカの首都テノチティトランに到着し、息をのむような景色に圧倒されます。彼らは宮殿に案内され、アステカ帝国の皇帝モクテスマ2世に出会います。 モクテスマ2世は彼らの存在に興味を持ち、彼らをアステカの野球の先駆者たちとして迎え入れます。柴田、土井、王、長嶋、高田、末次、黒江、森、吉田、上田、柳田は喜びを胸に、アステカの若き野球選手たちと共に練習を始めます。 彼らは自身の経験と知識を活かし、アステカの選手たちに野球の技術と戦術を伝えます。彼らの情熱と指導によって、アステカの選手たちは驚異的な成長を遂げ、野球の魅力に取り憑かれていきます。 やがて、アステカの野球チームは他の都市の強豪チームとの対戦が組まれます。柴田、土井、王、長嶋、高田、末次、黒江、森、吉田、上田、柳田はチームメイトたちと共に戦略を練り、アステカの伝統的なスポーツ「tlachtli(タラッチリ)」の要素を取り入れた戦術を展開します。 試合の日がやってきました。

プライヴェートライアンのEarn this,Earn itの件

プライヴェートライアンというスピルバーグ監督の映画があってそれはそれは素晴らしい映画であります。まずは軍装マニアのスピルバーグが完璧に当時のアメリカ軍、ドイツ軍の装備を実現し、人体に弾丸なり爆薬が炸裂した様子も忠実に実現してしまいやがって、おかげで冒頭のノルマンディー上陸シーンで離脱する人が多出、いきなり観客を容赦なく選別するという仕掛けがあることです。マジで見ろよ、現実をオラオラッ!とスピルバーグ先輩はブッこんでくる訳です。

あべちゃん

安倍ちゃんもせめて政治意見の対立が理由で正面から攻撃されて散りたかっただろうがこれも不特定の人々とやりとりせねばならぬ政治家の生き方。誠にお見事でありました。つくづくご冥福をお祈りします。犯人も統一教会を攻撃すべきだったと思いますが違うところに行ったのはなんだろうかと思えば自民党と勝共連合との絡みに立場としてかからわなければならなかった安倍ちゃんの解釈を間違ったのかもしれない。陰謀論も厳選しないと。またガセネタをかき集めて悪意のあるコンテンツを今も作っているマスコミはこれで敵認定されるかもしれませんね。あとモリカケだ、サクラだとガーガー国民の時間とお金を消費しているアタマが悪い政治家を選んできた我々も今回の件に加担していたのだと思ってしまいます。とにかく投票に行ってアタマが良い人を選びましょう。

霧の海

季節の変わり目になると海水温が低いのに空気が温まり過ぎてしまう。すると海水温と空気の温度にギャップが起きて朝には霧が発生する。浜から眺めると海が視界ゼロの分厚い白いベールに覆われる。 その中をゆっくりパドリングして沖に出て波を待つ。 10m先くらいしか視界は確保できない。そしてその白いベールの中から波が浜でブレークしようとぬっ、とコブのように続々と現れる。 それらが角度の低い朝日に照らされて深緑というか青いオレンジ色というか物凄く綺麗な色になって見えることがあるのだ。 それは衣を纏った高位の僧侶が静々と寺院の中を歩み行くようにも、また海で行方知れずになった亡霊たちが陸地に戻ろうと足掻いているようにも見える。 それはなんというか壮大な夢を見ているようでただただ見惚れるしかないのだが自然というものは元々そういうものなので我々は多分夢を見ているのだ。

ウクライナ侵攻

かつてナチスがポーランド侵攻して第二次世界大戦がはじまった時、ヒトラーさんは「生存圏」を主張しました。生存圏というのは国家にとって生存(自給自足)のために必要な地域とされています。 ドイツにおけるゲルマン人に、十分な空間が与えられていないとする考え方は、ヒトラーさんがそれを有名にするずっと前から存在していて、「生存圏」という言葉で結実したのは、1900年頃です。英仏をモデルに、ドイツにおいて国家統一と植民地獲得を目指すスローガンとして用いられました。英仏のモデルとは、英国におけるインド支配、フランスにおけるアフリカ・アジア支配です。

テレビと新聞の終わりの始まり

インターネットが広がりを始めて25年近くが経ちました。これは2者以上を直接結びつける仕組みで、同時に間に入って中抜きをしている人々が排除される宣告でもありました。 フジテレビ、朝日新聞、博報堂が早期退職者を募集しています。特にテレビでは2021年の年末には「ガキ使」製作中止(コンプライアンス上の配慮と言っていますがそれをはねつける気力がなかっただけ)や、古い芸能人の引退に象徴されるように、中抜きビジネスモデルが現実に耐えられなくなってきているのです。 テレビは電波という国民の資産を理由なく独占し、世帯に一台以上あるテレビという箱に映像を送りつける「仕組み」を提供して中抜き。新聞は各家庭に配布される「紙束というデバイス」に印刷して情報を送りつける「仕組み」を提供して中抜き。広告代理店は生産者と消費者の間に入って上記2つの仕組みを利用して経費+20%手数料を中抜きしとったわけです。

遵法意識の低下が起こる

過去1年半の末端の政府や行政の手法が時代遅れ過ぎて現実に耐えられないことが、実際に目のあたりにした人々がいます。そして実際にそのチグハグさに直面した人々もいます。