その昔広島の原爆資料館に行った。泣くというよりも哭いた。
この世に街を全部蒸発させてしまう存在があるのだと思った。そしてこれは実験だと思った。明らかな非戦闘員への攻撃で広島と長崎で違うタイプの原爆を使ったからな。
そして突然削除されてしまった人々は日本人の先輩だった。そしてあの人達は過酷で身も蓋もないない現実に裸で立ち向かった。断ち切られた先輩達の存在を再び全うするのはもっともっともっと長い人々の祈りを必要とするだろう。
今もこの世界は引き続き過酷だ。私たちは私たちの先輩達の様に逃げることなく対峙してこの世界を少しでもより良いものに変化させていかなくてはならない。それが祈るという事だ。
今も昔も夏という季節に生命は絶好調に謳歌してどうしても放棄できない義務を教えてくれる。