弔辞

弔辞

面野雄へ

2015/11/27にお前が突然死んだ時俺は宮崎でサーフィンしていてお前のことなんか頭の片隅にもなかった。

2016年になってすぐにお前の事を書いた俺のブログを見た全くの第三者の人がお前の死亡欄を金沢の新聞で見たとコメントをくれて俺は死にものぐるいで確認した挙句お前が死んだ条件が揃っている事は認識した。

けれどもけれどもどうしてもお前が死んだ事は確定できないので金沢には長らく行けなかった。とても恐ろしかったんだよ。すまん。

そして3年が過ぎた。ようやく俺はお前の死を受け入れる様になったから今日来たよ。

金沢駅を降りたら綺麗な群青色の広い空が広がっていて俺と田村はお前んちまでちょっと距離があるのはわかってたけど歩く事にした。どういう風景や空気の中でお前が生きて死んでいったのかとかお前との空白の年月が歩く事によってもしかしたらちょっとでも感じて埋められるんじゃないかって2人とも思ったんだ。相変わらず勝手でごめんな。

金沢っていう街は低地の金沢駅から白山山系に向かって上がっていく緩やかな傾斜に成り立っていてお前んちは結構上にあって後半ちょっと大変だったけど犀川からみる山々は本当にドキンとするくらい神々しく構図が決まっていて夏はあの川で泳ぎたくなった。もちろん兼六園とか街並みもかっこよかったな。いいところだよ。

そしてお前んちの前に行くとちょうどオヤジさんが出て来てて俺と田村は家にあがらせてもらって手を合わせた。お袋さんともお話ししてお前の死に様も聞いてお前の入っている小さな骨壷があってまだお袋さんお墓に入れられないんだってよ。

その時俺はお前のオヤジさんとお袋さんが一番悲しんでいるんだなって本当にわかった。当たり前だよな。俺が一番悲しいなんて勝手に思ってたけどそれに気がついてひどく恥ずかしかったよ。

そして同時に俺はお前の死を理解したんだ。今までは何というかお前の名前をもじった会社を作ってみたりあの海沿いのホテルに定期的に意味のない電話してみたりしていつか何処かでお前と超電導技術の未来とか北朝鮮の秘密とかマジェスティック12とかのバカ話が出来るんじゃねえかと思っていて心の隅っこでその期待値にすがって生きていた部分があったんだ。でもそれはもう出来ないんだな。今日わかったよ。

だから俺はお前を俺の中に取り入れて更に生きる事にしたよ。それでは。

そしてあなたは俺たちの本当のシングルスNO1だった。

でも実は今でもそうなんだよ。

さようなら面野雄。またどこかで会おう。

2019/1/12

永山新一

ps今年の夏、オヤジさんとお袋さんとゴルフするよ。その時また金沢いくぜ。

ps以下ダイサクからのメッセージだ。

面野。君が庭球部に入ってきたのは衝撃でした。土橋さんを破った試合だけでなく、僕らは君に乗り移って試合をした。君にもらったダンロップのラケットで関東学生になれたのが一番の想い出です。面野、ありがとう。櫻井

3 thoughts on “弔辞

  1. 早稲田から見た君は土橋さんに勝ったぢけでなく、無限のテニスの可能性を感じたよ。すごかった!

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  2. 【追悼 面野雄】
    慶應義塾体育会庭球部で同期の面野雄が亡くなりました。

    昭和62年、帰国生入試を経て慶應に入学し、庭球部に入った面野雄。私は高3の時からSSCで一緒でした(^^)

    俊敏なフットワークと強烈なフォアハンドを持った選手であり、面野のストロークをボレーするのが楽しかった。

    面野は、昭和62年の全日本室内で、当時日本一の福井烈さんを破り、デ杯候補入り。

    翌年の全日本選手権では、雉子牟田明子さんと組み、混合ダブルスで優勝しました。

    昭和62年4月、関東大学テニスリーグ。

    前年まで3年連続で二部との入替戦にかかり、辛くも勝利して一部残留を果たしていた慶應は、面野の加入により快進撃。

    第四戦を終わって3勝1敗、最終戦に勝てば10年振りの王座出場、という状況でした。

    ここで、同時期に開催のジャパンオープンから、予選のワイルドカードを面野に与えるので出場しないか、との打診が。

    ジャパンオープンの予選とリーグ戦最終戦は同じ日であり、両方には出られない。

    どうすべきか?部員によるミーティングが開かれました。

    「入替戦を脱しただけで充分な結果。最終戦は他の部員で勝ち抜くから、面野はジャパンオープンに出場してくれ」という意見が部員の多くを占める中、面野は「リーグ戦に出場します」という自分の意見を頑として変えませんでした。

    そして迎えた最終戦、法政に勝って歓喜の王座出場決定!

    ジャパンオープンからは結局、予選ではなく本戦のワイルドカードが面野に与えられることになり、無事出場。

    有明コロシアムが完成した記念すべき大会で、面野の試合は、有明コロシアムのこけら落としに指名される名誉となりました。

    日本テニス界から将来を期待されていた面野ですが、「自分は全米ジュニア40位台の選手。世界で活躍するのは甘くない」と冷静に話していたのが印象に残っています。

    10年振りに王座出場を果たした慶應は、決勝で早稲田に敗れたものの、面野は無敵の早稲田No1土橋さんに土をつけました。

    この試合、慶應の敗戦は既に決まっており、面野は気落ちした状態で試合に入りました。

    前半、いいところなくリードを許します。しかし、土橋さんの真剣さに刺激されたのか、途中からスイッチが入り、そこからは面野の独壇場。完勝でした。

    諸事情により最後まで慶應にはおらず、近年会うこともありませんでしたが、面野は私の学生時代に欠かせない存在でした。

    こうやって文章を書いていると涙が止まりません(涙)

    面野ありがとう!

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  3. さみしいよね…
    彼とはジュニア時代に一緒に練習をした事がありリーグ戦では二回対戦しました。
    もちろん完敗しましたが彼の球を打つのがドキドキしました。
    それくらい素晴らしいショットを持ってたよ!

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