小泉信三

親の身として思えば、信吉の二十五年の一生は、やはり生きた甲斐のある一生であった。信吉の父母同胞を父母同胞とし、その他凡ての境遇を境遇とし、そうしてその命数は二十五年に限られたものとして、信吉に今一度、この一生をくり返すことを願うかと問うたなら、彼れは然りと答えるだろう。

父母たる我々も同様である。親としてわが子の長命を祈らぬ者はいない。

しかし、吾々両人は、二十五年の間に人の親としての幸福は享けたと謂い得る。信吉の容貌、信吉の性質、すべての彼れの長所短所はそのままとして、さてこの人間を汝は再び子として持つを願うかと問われたら、吾々夫婦は言下に願うと答えるだろう。

信吉は文筆が好きであった。若し順当に私が先きに死んだなら、彼れは必ず私の為めに何かを書いたであろう。それが反対になった。然るにこの一年余り、私は職務の余暇が乏しかったので、朝早く起きて書いたり、夜半に書いたりしたことがあるが、筆の運びが思うに任せず、出来栄えも意の如くならなかった。しかし信吉は凡てそれも恕するだろう。

彼れの生前、私はろくに親らしいことがしてやれなかった。この一編の文が、彼れに対する私の小さな贈り物である。

「海軍主計少尉小泉信吉」

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