無宗教の日本人

日本人は7割が無宗教と答えます。仏教、神道、キリスト教の信者を足すと人口の倍になります。これは皆さんが正月は神社に行きおせちを食べてハロウィンやバレンタインを祝って死んだら戒名をもらってお墓に入る事を何となくやっているのだと思います。

これは近世以来の習慣づけがあります。戦国時代、天台宗比叡山延暦寺やカトリックキリシタンや浄土真宗一向宗などは軍事力を持ち戦国大名と抗争を繰り返しました。織田信長は天下統一の障害になると考えた比叡山を焼き討ちし、一向宗を徹底的に弾圧しました。豊臣秀吉はスペインの世界支配の道具となっているイエズス会に紐付いたキリシタン弾圧をし、徳川家康は島原の乱を鎮圧しました。その後、家康は全国の寺に全国民を信徒化=檀家し、名簿=戸籍管理をさせ僧侶を公務員化しました。これを寺請制度といいますが、この結果、ウチは〇〇宗だからと葬式にはその宗派の坊主を呼び、墓も寺が管理するようになったのです。この習慣が今も残っています。寺院側も安定収入を得るため葬式や戒名、墓地を商品化していった。葬式仏教の始まりです。葬式業者と化した仏教は人々の魂を救えません。神道は実は教義はありませんので仏教と同様に迷い人を導く事は出来ません。第二次世界大戦時、兵隊さん達は「靖国で会おう」と言って戦場で散って行きました。これはこれで美しいお話ではあるのですが明治維新に倒れた人を祀るという比較的歴史の新しい靖国神社という特殊な事情があった上の事なのです。もし死後日本人が神社で再び再会するという信仰体系があったのならば「伊勢神宮で会おう」「出雲神社で会おう」という言葉が溢れかえっているはずなのです。結果、多くの人々は日々の仕事や遊びに集中することに精力を使い、そうでない人々は鬱になったり新興宗教に自らの居場所を見つけ出します。もちろん学生時代に魂の安らぎとは何かと悩んでいた人が、社会に出てがむしゃらに仕事に没頭し、ある種の経済的成功を得ることがあります。ですがそれは問題の先送りに過ぎず、定年退職して時間ができた時に再び向き合う羽目になります。ですが、このがむしゃらな彼、彼女は果たして向き合いません。ある人は蕎麦屋をはじめたり、田舎で民宿をはじめたり、世界一周旅行に出かけたり、違うがむしゃらターゲットを見つけだします。やがて身体が弱り病院に入りお見舞いにくる家族を眺めながら「ああ俺の人生は何だったんだ。でも俺はこんな素晴らしい子供達を残せて幸せだ。ところで周りに延命治療は迷惑だからしてくれるな。」と言って本来のミッションを果たさず死んでいく。でも多分それは日本人だけの問題ではないです。一見豊かに暮らしている先進諸国と呼ばれる国に住んでいる多くの人達が抱えていると思います。そういう不安定な人々が増えるとやはり個人と個人の関係、家族と家族の関係、宗教と宗教の関係、民族と民族の関係、国と国との関係が不安定になっていきます。

なので共通言語が必要なのです。

5 thoughts on “無宗教の日本人

  1. はじめまして!大学で宗教学を学び、その後、仏教に関わる宗教専門紙で記者をしたりしながら、実はプロテスタントという経歴を持つものです笑。ブログに書いておられるように、日本も今からは考えられないくらい“一神教”だった時代もあると思います。今のような宗教観になったのは、「江戸幕府による徹底した、鎮圧」と「GHQによる一神教的思想の排除」があるように私は思うのですが、いかがでしょうか?

    初コメントなのに、長々と大変恐縮です。失礼致しました。

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    1. あれ?こんなブログ読んで頂いてありがとうございます。ところで日本の「一神教」とはどのようなありさまだったのでしょうか?チト知りたいです。すみません。

      Liked by 1 person

      1. ご返信いただき、ありがとうございます。おそらく釈迦に説法のようになってしまうかも…という前提になってしまうので、お許しください。

        宗教史的に、日本における仏教は、多神教的な多様性を受容し、根づいたものとされています。その中で、「神祇不拝」を是とした一向宗は、一神教的であり、その発露は戦国時代の「一向一揆」に表されるかと存じます。

        その後、江戸幕府により、宗教は管理されるのですが、明治時代にいわゆる「廃仏毀釈運動」が巻き起こり、本来は多様性や他宗教に対する寛容を重んじきた神道の解釈が、一神教的な側面のみが押し出され、大正時代くらいまでは寛容性を保っていたと思うのですが、戦争を望む愚鈍な国民の総意により、第二次世界大戦の引き金を引く頃には、排他的で独善的な解釈による一神教的な支配があり、敗戦後にはGHQにより「愚鈍な国民の総意」の元凶が一神教的なイデオロギーであるとされ、大いに宗教解体が行われました。

        そうして現在につながっていると解釈しています。長文失礼致します。

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  2. すみません。誤って途中で送信してしまっていました。。。
    編集や削除ができないようでして、「その後、江戸幕府により~」を下記の文言と変更させてください。

    その後、江戸幕府により、宗教は寺社奉行を用いられるほど徹底して管理されるのですが、明治時代にいわゆる「廃仏毀釈運動」が巻き起こります。

    この運動は本来は多様性や他宗教に対する寛容を重んじきた神道の解釈が、一神教的な側面のみが押し出される結果となってしまいます。それでも、大正時代くらいまでは寛容性を保っていたと思うのですが、戦争を望む愚鈍な国民の総意により、第二次世界大戦の引き金を引くことに。その頃には、排他的で独善的な解釈による一神教的な支配があったと思います。事実、敗戦後にはGHQが「愚鈍な国民の総意」の元凶が一神教的なイデオロギーである断定し、大いに宗教解体が行われました。

    そうして現在につながっていると解釈しています。長文失礼致しました。

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