好きな映画を最低限ウィキだけチェックして記憶だけを頼りに評価する。
この映画の事を初めて聞いたのは高校生の時だった。Y川という同級生が如何に凄い映画かをBRON
を呑みながら超立体的に語ってくれたのだった。オレは初めてその時映像の力というものをハラの底から理解した。同時にこういう表現力を持つY川という男を畏怖の念で眺めることになった。そして映像を恐ろしいモノとして勝手に感覚的に遠ざけることになった。結果オレがこの映画と向き合うのはしばらく経ってからになるのだが30回以上見てしまった。
さてこの映画は移民の物語だ。人類は統計的に2%の人々が常に移動し歴史を作ってきたそうだ。移民=移動する人々と捉えるとディアハンターという設定で切り取った人類のドラマと捉える事ができる。旧約聖書の何かをモチーフにしているかもしれない。主人公はロバート・デニーロ=マイケルではなくクリストファー・ウォーケン=ニックだ。移動する人=ロシア移民であるニックがアメリカに同化しようとするアガキをローカル=マイケルが冷静に時にはクレイジーにサポートしながら見守る物語なのだ。舞台はベトナム戦争に突入する直前のピッツバーグ。鉄の街だ。そこでニックとマイケルと仲間達は24時間稼働の工場で働いている。彼らはシフト明けにはどでかいオープンのインパラでバーに乗り付け激しく酒を呑み休日にはハンティングに出かける生活を送っている。少しデフォルメしているだろうが彼らの生き方はどこか虚無的で刹那的である。が生きるっていうのはこういう事なんだよ!という確信で描かれてる。当然めちゃくちゃカッコイイ。
そんな時ベトナム戦争というとても大きな出来事が起こる。彼らは志願して入隊(多分)しベトナムに送られる。トンキン湾事件がでっちあげであった事は知らない。入隊した彼らはそれぞれ違う部隊に配属されベトナムの各地に散るがとある戦闘中に戦場で偶然再会してしまう。再会したニックとマイケルとスティーブン(雑魚キャラ)は北ベトナム軍の捕虜となりジャングル奥地の川の中にある収容所に送られてしまう。だがその収容所とは名ばかりでベトコン達の遊び場になっている。構造は川床に柱を打ち込んだ高床式になっていて上の小屋にはベトコン達が陣取る。捕虜達は小屋の下の空間に後ろ手に縛られブチ込まれる。当然胸から下は水の中だ。逃げられない様に構造を支える柱の周りは厳重に囲いがされている。捕虜達は超不安定な状況の中生活していく。
ベトコン達の遊び場と表現したのは意味がある。彼らは暇つぶしに捕虜を2人づつ小屋の上にあげて金を賭けて実弾ロシアンルーレットをやっていたのだ。どちらかが必ず死ぬ。そんな極限環境でニックとマイケルとスティーブンは生き残って脱出するのだがそのシーンは是非映画を見て欲しい。この世界を文章で表現する技術はまだ筆者にはない。
結局3人は自軍陣地に辿り着きマイケルとスティーブンは帰国する。スティーブンは両足を失ってしまった。ニックはベトナムの軍人病院から脱出して行方不明になる。
やがてベトナム戦争に終わりが見え始める。だがニックは依然として行方不明だ。帰国しているマイケルはニックが生きている手がかりを見出し陥落間際のサイゴンに乗り込む。
ニックは全ての記憶を失くしながらサイゴンにいた。本当に人が死んでしまう地下ロシアンルーレット賭博場で勝ち残りながら彼はスティーブンに金を送っていたのだ。マイケルはそんな彼にサシで勝負を挑む。ニックはある言葉で記憶を取り戻しながら死んでいく。
マイケルはニックをピッツバーグに連れ帰り仲間と供に葬儀を静かに行う。
映画は終わる。そしてスタンリー・マイヤーズのBGMは最高だ。
異邦人は死をもってその地に迎えられその後アメリカはモノを作らなくなった。
それでも今日もまた人は移動し続ける。